むしろ不評なグループワークの導入 - 日本の教育改革に本質を問い直す
12/5/2024
author: Origin of Originals CEO ko-ki
近年、日本の学校教育を変える必要性が強く叫ばれています。創造性や批判的思考を育まない従来の詰め込み教育には限界があり、自分で考える力を養う必要があるという風潮が高まっているのです。
欧米の教育と比較すると、例えばアメリカではグループワークやディスカッションが重視されています。日本のような暗記中心の教育とは異なり、21世紀に必要なスキルを養えると考えられているのです。
しかし、このような主張が正しく、学校教育を変えていかなければならないとしたら、私はすでにかなりの教育改革が行われていると感じます。
小学校でのディスカッション授業
私が小学生だった2015年前後、大阪の公立小学校ではすでにディスカッションの授業が始まっていました。お題はさまざまで、「おにぎりの具材で美味しいのはツナマヨと鮭のどちらか」といったエンタメ要素の強いものから、道徳の授業で「震災の中、障がいのある弟のために嘘をついて食べ物を多めにもらった少年は本当に悪いのか?」といった深いテーマまでありました。
小学生ということもあり、みんな自分の意見を積極的に発言していました。心理的安全性が高かったように思います。私もディスカッションの時間を楽しんでおり、自分の意見を論理的に組み立て、相手を納得させる主張をする基礎的なスキルを身につけたと感じています。
中学校でのグループワークの現実
中学生になると(2018〜2020年)、グループワークは当たり前になりました。公立の中でもやや治安が悪めの学校でしたが、一日に一回は班で机を向かい合わせて活動していました。主に問題について話し合い、発表する流れが多かったです。
しかし、中学生くらいからグループワークに問題が生じ始めます。社会学で言う「社会的手抜き」が起こり、それぞれの生徒が敏感になり始める時期です。簡単に言えば、一部のメンバーが手を抜き、結果的に優秀な人や押し付けやすい人が負担を背負う現象です。
振り返ると、私は毎回班長に選ばれ、結局自分がほとんどをこなしていました。このような経験を持つ人は少なくないでしょう。一度この経験をすると、「真面目な奴が損をする」と学び、今度は自分が手抜きをする側に回ってしまいます。
つまり、中学生あたりからグループワークは面倒なことの押し付け合いになり、一部の人が負担を背負い、他の人は成長しない時間へと変わっていきます。
教育改革のジレンマ
このような現象が起こると分かっていながら、「創造性や批判的思考を育むためにはディスカッションが必要」と考える知識人や政府が「良い教育」を押し付けた結果、現場ではうまく機能せず、「むしろ以前のほうが良かった」という状況が生まれています。
正直なところ、グループワークやディスカッションの授業は多くの生徒から不評でした。私は既存の教育システムに疑問を抱き、中学・高校・大学と途中でやめましたが、特に嫌いだったのはグループワークやディスカッションの授業でした。
ここで主張したいのは、教育改革のジレンマです。多くの人が従来の詰め込み教育や一方的な授業には限界があると思いながらも、創造性や批判的思考を育むグループワークやディスカッションのほうが問題が多いという現実です。
グループワークで育まれるスキルとその実態
そもそも、なぜグループワークやディスカッションが重要とされているのでしょうか?厚生労働省によれば、以下のスキルが育まれるとされています。
- 主体性と協調性
- 問題解決能力と思考力の向上
- コミュニケーション能力の向上
- 実社会への適応力向上
- アクティブラーニングの推進
これらの重要性は概ね認められるでしょう。しかし、実際のグループワークでこれらのスキルが育まれているでしょうか?
主体性に関しては、ほとんどの人が嫌々参加し、やることも決められているため育まれていないと言えます。協調性についても、全員がだるそうに話し、一部の人がサボる現状では難しいでしょう。
問題解決能力と思考力の向上に関しては、むしろ個人で課題に取り組むほうが真剣に考えるため、グループワークは思考のサボりを引き起こしているとも言えます。
コミュニケーション能力と実社会での適応力は、ある意味で向上するかもしれません。つまり、「いかにうまくサボって損をしないか」というスキルです。しかし、これでは本人の成長にはつながらず、イノベーションを生み出せない人材が増えるだけでしょう。
結論として、グループワーク・ディスカッションの導入の一番の成果は、形式的なアクティブ・ラーニングの推進にとどまっています。
教育改革がうまくいかない理由
多くの教育改革は表面的なものにとどまっています。時折、麹町中学校のように成功例が取り上げられるものの、その効果の持続性には疑問が残ります。
私は、創造性や批判的思考を育むには「周囲との協力を通して学ぶ」という前提自体が間違っているのではないかと感じています。ディスカッションは、多様な知識や背景、性格を持つ人同士が意見を交わすことで、新たなアイデアや解決策を生み出すものです。
しかし、日本では同じ地域で育ち、同じ授業を受けてきた生徒同士が議論しても、新たなものは生まれにくいのではないでしょうか。結果的に、一番優秀な人が答えを見つけて終わるだけになります。
教育改革を推進する人たちは、グループワークを通して学ぶのではなく、本当に多様な個人同士が意見を交わすことで生まれる現象を考えていないのかもしれません。
まとめ
教育改革の理想自体には賛同する部分も多く、現在の教育を変革する必要があるのは確かです。しかし、教育改革がうまくいっていないからといって、現行のシステムが良いという結論に至るのは、保守的で考えることを放棄していると言わざるを得ません。
完璧な制度は存在しませんが、常に変革は必要です。そして、それを押し付けるのではなく、現場の状況に合わせて柔軟に取り入れていくことが重要です。
皆さんは、現在進んでいる教育改革についてどう考えますか?
現状に問題があると共有しつつも、この教育改革が最適とも言い切れないのが現実ではないでしょうか。私たち「Origin of Originals」では、学校教育や就職活動など、既存の枠組みにとらわれず、「本当に人が成長するために必要なものは何か」を考えています。
意見を主張し問題提起をするだけでなく、実際に必要なものを作り、試行錯誤を繰り返すことで、現在の教育では無視されている新しい場を作っていきます。
これからも教育の問題と未来について議論を深めていきますので、他の記事もぜひご覧ください。