不登校は結局認められるべきなのか?
12/5/2024
日本では、不登校の人数が年々増加し続けています。
不登校を引きこもりと結びつけ、社会問題として扱う人もいますが、最近では「無理して学校に行かなくてもいい」という主張も増えてきたように感じます。
文部科学省の調査によると、2023年度には小中学校で34万6,482人が不登校となり、11年連続で増加しています。
これは、生徒全体の約3~4%に相当します。
つまり、一学年が100人の学校であれば、学年に3~4人程度の不登校の生徒がいることになります。
この数字に納得感を持つ人もいれば、その増加に驚く人もいるでしょう。
では、なぜこれほどまでに不登校の数が増えているのでしょうか?
不登校増加の理由
不登校増加の大きな理由は、価値観の変化にあると考えます。
文部科学省も指摘しているように、「無理に学校に通わせる必要はない」という社会的認識が徐々に広まっているのです。
これは、多様性を認めようとする風潮と同時に進行してきたものと思われます。
また、私は学校教育に対する不信感の高まりも、このような認識を広げている要因だと考えます。
政府はフリースクールやスクールカウンセラーの強化などで対策を進めていますが、その効果は限定的です。
他にも、不登校が増加する理由として、スマホやゲーム機の普及により、一人で時間を過ごせる環境が整っていることが挙げられます。
明確なデータはありませんが、親からのリアルな声などからも、多くの不登校の子どもたちが一日中ゲームのコミュニティに参加したり、X(旧Twitter)などのSNSで自分の居場所を見つけているようです。
学校以外にもネットを通じてコミュニティを形成できるようになったことは、特に学校に居場所を見出せなかった子どもにとって良い面もあります。
しかし、その怠惰な生活が日常化し、引きこもりへと繋がってしまう可能性があることが、不登校が社会問題の一つと考えられる所以でしょう。
なお、ここに書いたことは、不登校が増加している理由であり、一人ひとりが不登校になるきっかけは異なります。
決して、「行かなくていい」という風潮が広がり、ゲームやSNSで時間を潰せるようになったこと自体が、不登校を引き起こしたわけではありません。
"不登校"になった私が思ったこと
私自身、中学3年生のときに体調不良と怪我の悪化が原因で、学校に行かなくなった経験があります。
当時、偏差値や良い高校・大学に行くことに強い関心があったわけではありませんが、勉強が得意で偏差値は70~75程度ありました。
そのため、自然と自分はトップ校に進学するのだろうと思っていました。
また、私が住んでいた大阪の公立高校では、内申点がかなり高い配点を持っており、成績をオール5に近いレベルで取ることが必須だと考えていました。
成績が必須であったため、体調がどんどん悪化しても、自慢の忍耐力で通い続けた結果、
ついに本当に学校に行けないレベルまで体を壊してしまいました。
そのとき、自分が学校教育と社会の仕組みに縛られていたことを強く感じ、自分を大切にするために中学校には最後まで行かないという決断をしました。
不登校になってから見え始める世界は、意外にも広がるものです。
もちろん、それぞれ特有の問題があり、それが辛くて仕方がないときもありますし、将来自分はどうなるのだろうという不安が強まることもあると思います。
しかし、学校を離れたからこそ視野が広がるという一面があることは、重要な意味を持っています。
実際、学校に通い続けていた頃は、その日常と世界以外にないように感じ、立ち止まって自分や自分を取り巻く環境について考えることが少なかったように思います。
学校に通わなくなると、自己形成において非常に重要な時期に莫大な空き時間が生まれるため、自然と自分について深く考えるようになるのです。
では、不登校が子どもの成長にとって良いのかといえば、それは別の問題になります。
その一番の理由は、現在のところ、学校以外に本当の意味で人が成長するための場所がほとんどないからです。
フリースクールや不登校に向けた通信制の教育などが増えてきてはいますが、私はそれらに対して批判的な視点を持っています。
例えば、フリースクールは、学校に行けなくなった不登校児のための場所を確保し、学校に戻れるようになるまで支援するという側面が強くあります。
復学することが悪いというつもりは一切ありませんが、不登校になるということは学校からはみ出しているわけで、その人をまた学校に押し込んだとしても、平凡以下に育っていくだけなのではないかと感じています。
学校に行かないという選択をしたのなら、それ以外の場所で自分が成長し、ポテンシャルを発揮していく方が良いと思っています。
ここまで「不登校」という言葉を使ってきましたが、私はこの言葉自体があまり好きではありません。
それは、学校に行くことが当たり前で、そこから落ちこぼれてしまった生徒が「不登校」と呼ばれているように感じるからです。
「学校に行きたくないのなら不登校も良いよね」という論調も増えてきてはいますが、それは学校に行くことのネガとしての選択肢でしかありません。
学校に行かないということは、良いことでも悪いことでもなく、何かおかしなことというわけでもありません。
いずれにせよ、自分が生き生きとしていられる場所で成長し、戦っていくことが大切だと考えています。
より正確に言えば、そのような場所を見つけ、作っていくことこそが一番重要なのです。
学校と塾以外の場所が少ない教育システムに対して
不登校が「落ちこぼれ」ということは全面的に間違いですが、学校に行っていない人の方が、行っている人よりも学力が低く、良い職業に就けていないということは事実です。
それは、教育システムが学校と塾による決められたカリキュラムを教え、受験競争の中で順位を決めていくという構成になっているからです。
ここ自体が良いか悪いかは今回は問いません。
それよりも重要なのは、学校や塾で勉強をして受験競争に参加する以外の場所が、
将来のキャリアや自分の成長という観点では、あまり存在していないという事実です。
つまり、学校や塾に行かなくなったら、自分の好きなゲーム、アニメ、SNSに時間を使う以外に場所がないのです。
学校や塾、もしくは就職のような王道のレールから外れて成長を求めることは、茨の道になっているということです。
だから、多くの親や先生は、良い高校や大学に進学し、良い企業に入ることこそが安定であり成功なのだと教え続けているのでしょう。
しかし、これほど苛烈な競争に参加しても、勝てる人はほんの一部だけです。
本来、とにかく受験勉強が得意だという人のみが、この「良い高校・大学に入る」競争に参加すべきだと思います。
だからといって、勉強がそこそこ得意という人が、少しでもマシなところに入りたいと感じるのは当然です。
なぜなら、この競争に参加する以外のレールがなく、レールの外は自分一人で戦っていくしかないからです。
私が「Origin of Originals」を始めたのは、このような現状に対する強い反発を持っているからです。
私は、学校教育における教育改革にはあまり期待していません。
教育改革については別の記事で書きましたが、そもそも学校というのは、一人ひとりの個性を活かし、それぞれがポテンシャルを発揮できるように教育をする場ではないからです。
学校は、国民の基礎学力を高め、一定以上の規律と常識、国民意識を共有することで社会秩序を守り、国家として強固にしていくための組織です。
つまり、学校は私たち一人ひとりのためにあるわけではないのです。
だからこそ、学校、塾、会社への就職や出世など、既存の枠組みから切り離して、新しい場所を作る必要があると考えています。
自分の道を歩む、自分のやりたいことを見つける、好きなことを大切にする。
そんなことを言えば、自己啓発に影響されたのかと思われたり、危険で茨の道になるからやめておいた方がいい、というのが常識になっています。
しかし、本来、自分のポテンシャルを掘り起こし、才能がそれほどなくても、自分がやりたい、これならできるかもという場所で成長し、戦っていくことは、険しい道でもなんでもなく、当然とるべきな自分の生存戦略であり成長する方法だと思います。
これが難しいのは、そんなことをできるのは意思が強かったり才能がある人だけだと思われており、
成功した人の話を聞いても自分には無理だと感じてしまうからでしょう。
このような側面がないとは言えず、実際、既存のレールを飛び越えて成功していった人というのは"変わっていく力"を持っていました。
では、この"変わっていく力"を持っていない人が成長できず才能も強みも持っていないのかと言えば、それは全く違うと思います。
私はシンプルに、教育システム・社会システムが、独自性を追求し、自分のポテンシャルを発揮できる場所をカバーできていないため、
結果的に誰の支えも基盤もなく自分の道を突き進まなければならない、そんな「教育のインフラ不足」が現在の問題だと思います。
私は、既存の学校教育を補うという目的ではなく、本来必要な教育のインフラを整え、自分の道を進みたいと思ったときに、しっかりとそのための場所があり、具体的に達成していく方法を考え、実践していける、そんな場所が必要だと考えています。
私一人では、まだインフラと言えるようなものは作れていませんし、答えを見つけているわけでもありません。
だからこそ、これからも徹底的に「本当に人が成長するために必要なものは何なのか」を考え続け、新しい独自性を追求できる場所を作っていきます。
まとめ
皆さんは、教育の現状や不登校についてどう考えていますか?
私は、教育システムと不登校は密接に関わっていると考えています。
学校が大好きという人は少ないと思いますが、学校の役割や必要性に関する考え方は人それぞれでしょう。
この記事では、不登校や教育システムに対する私の考えと、抽象的な提案を述べましたが、これからより具体的にどう実現していくのかというプロセスについても共有していく予定です。
もし他に興味を持った記事があれば、ぜひ読んでみて、あなたの意見を考えてみてください。